Sunday 1 December 2013

ダンス規正法に関する個人的見解 - 感じるな語れ

Save the Club Noonの試写会に行ってきました。
http://www.uplink.co.jp/movie/2013/16966


映画の中でも登場しますが、ダンス禁止法といわれる風営法第一章第2条ですが、その制定は1948年、戦後日本で男女が踊りながら売春の交渉をしたことからそれを取り締まるために作られた法律といわれています。それから既に60年たった今、それまでブランクのあった条項を当時とはダンスを取り巻く状況や文化もかなり異なるのに突然に使って取締りを行っているのはかなり恣意的ではないでしょうか。また、関西をきっかけに関東、日本全国で行われるのは警察庁がトップダウン的に各地の市警県警に行わせているのではないかと想像するところです。


私たちは何に怒っているのか?

私たち音楽やそれを取り巻く文化を純粋に好きな人たちは怒っている。では、私たちは誰のどんな行為に対して怒っているのでしょうか?この取締りを行っている主体は警察庁なのでしょうか?地方警察局が自主的行っているのでしょうか?警察庁長官の支持の元行われているのでしょうか?それとも、ある特定の議員団体が警察庁に圧力をかけて行わせているのでしょうか?では警察は何を取り締まりたいのでしょうか?ドラッグなのか、アルコールなのか、やくざマネーなのか、ダンスを取り巻く文化なのか?私たちが戦うべき敵は誰なのでしょうか?私たちはまずそれを知るべきです。


誰の責任なのか?


現在の日本では残念ながら誰の指示と責任の元こういった取り締まりを行うのかというのが不明瞭なまま行うことができてしまいます。つまり、行う方はあまりリスクを取らずに実行できてしまうわけです。恐らくこのままいけば風営法は改正されると思います。ただ、既にいくつものクラブが会計情報を押収されたり、罰金刑を受けたり、営業停止処分を受けたりして経営難に陥りオーナーは廃業している分けですから、そういった責任を我々はこれを行った主体に追及すべきです。

※.ちなみにThe Club Noonが摘発されたときの警察庁長官は片桐裕という人物で2013年12月現在は米田壮


クラブにも普通の大人がいる

先にもあげたとおり、まだ楽観視はできませんが恐らくこのままいけば諸所の活動や議員連盟の働きかけがあって少なくともダンス禁止法は現在の形からは法改正されて、クラブの営業そのものはできるようになるでしょう。取り締まる側はクラブについて犯罪の巣窟的な偏見があるような発言が取調べ等であるようですが、実際にクラブに来る人は意外と良識があって普通の会社員生活をしている人が多いです。その点警察は見誤られたんではないかなと思います。


UKのダンス規正法

UKではレイブカルチャーの広がりからCriminal Justice and Public Order Act 1994によって反復するビート(つまりハウス・テクノミュージック)を複数人で聴いた場合違法となり取締りの対象となりました。しかしながら、それがスクワットパーティ(廃墟を占拠しての屋内パーティ)の普及を加速させることになったと理解しています。映画では確かThe Blue HerbのIll Bostinnoが”UKでもUSでもクラブは3AMくらいまでしか営業できなくて、ダンス規制以前の日本では世界にここだけにしかない幸せを謳歌していた。”と発言していましたが、UKに関しては間違いです。パブの営業時間は確かに23時までで以前はクラブでの飲酒は午前2時まででしたがEnglandでは2005年に法改正されており、ライセンスがあれば24時間営業してもお酒をサーブしても問題ないはずです。私も2011年までUKに住んでいましたがパブでは23時に鈴がなってそそくさと退出しなければならなかったものの、クラブから午前3時に追い出されたりお酒をサーブしてもらえなかったことは無かったです。ですから、他国との標準にあわせる意味で営業時間を風営法改正の妥協点とする必要はないと思います。


法律とは皆が幸せになるための妥協点

映画の中でIll Bostinnoが”法律は僕たちに悪いことしかない”とアナーキーなことを言っていましたが、法律とは異なった意見や社会的な立場の違う人がお互いにwin winで幸せになれる妥協点を探したお互いのためのルールであるべきであり線引きです。だからアウトロー対政府みたいにカウンターカルチャーの時代みたいに勧善懲悪くらいに単純化してしまうのは僕はあまり好きじゃないし、現代の社会的背景にそぐわないのではないかなと思います。


感じるな語れ

sugiurumnが”今本音を言うとtwitterとかで袋叩きに合うような風潮があって大変でしょ?”と言っていました。常々(ここ以外で)私も言っているように日本社会は(実はいろいろな系統があるものの)ほとんど単一の民族で構成されていて、人と細かく話さなくても”空気を読めば分かる”ほどにアイデンティティも統一されている。ところが、実はそういう風に見えて現在日本は社会的立場、職業、興味の範囲、趣味、人生体験などによって全然異なる人たちの集まりにいつの間にかなってしまったのです。実はそのことが背景にもあって、誰かがtwitterで知り合いにダンス規正法の話したら”クラブってヤンキーの巣窟だろ。つぶすのが当たり前じゃん。”て言われたみたいなことがあったけど、そこまで不理解とは言わないものの”あんなに大音量でズンドコ言ってる音楽を流して何が楽しいの?無くなってもいいんじゃない。”くらいの温度感の無関心は多数派なんじゃないでしょうか。僕たちクラブミュージック愛好家、クラバーはやはり日本においてはマイノリティであることは(私の意見ではなくて)事実です。それはもう個人ではどうしようもならないくらい大きな”文化”という枠組みであり、価値が単一的で異種なるものに偏見が多い日本文化においてはなかなか5年とか10年のスパンで変えていくことは難しいです。だからといって、クラバー達には現実と違うところで楽しんでいるモラトリアムに浸っていて欲しくないし、社会に出て発言して欲しいと思います。確かTheo Parrishだったと思うんだけど、スピリチュアルな音楽を日本のハウスミュージックファンが好きなことについて、”日本人は外国のことを僕たちよりもなんでもよく知ってて細かく話したがるけど、語るんじゃなくてもっと感じるべきだ。”となんかのインタビューで言っていました。僕はこの言葉が大好きですが、今この状況に置いては逆のことを言いたいです。”感じるな語れ” - クラブに閉じこもっていないでペンを持って同じ論理的枠組みの中で社会の枠組みを変えて欲しいです。ご協力します。